クマーの競プロ精進日記

AtCoder赤とICPC World Final目指して頑張ります.競プロ自戦記、アルゴリズムなどについて

ICPC 2022 Asia Yokohama Regional 参加記

チーム結成から2年半,ずっと待ちわびてきた大会だった.来年度以降のメモとして,大会に向けて準備してきたことや,当日に起こったことについて書いていく.

メンバーはいつもの nok0, zkou, kuma (私) の3人.

  • 本番1ヵ月前

公式から横浜大会のアナウンス段々と出されてきた時期だった.このころに当日に選手が用いる計算機環境についての発表があった.

個人的に特に不安視していたのはキーボードで,自分はUS配列のHHKBを使っているのでキーのUS配列自体は問題ないのだが,自分のキーボードはキーバインドをかなり自分用に改造しており,普通のUS配列のキーボードを打つことに全く慣れていないので練習が必要だと思った.

そこで指定されていたLenovoのキーボードをAmazonでポチった.HHKBに比べると安物なので馬鹿馬鹿しい買い物にも思えるが,これまで競プロに費やしてきた時間を考えればまあこれくらいは良いかと思えた.(何ならアマギフもらったりもしたのでプラスまである).

あと,本番の朝に起きられる気がしなかったのでこのときから生活リズムを22時就寝~6時起床に調整し始めた.おかげでABCやコドフォがかなり犠牲になったが,その分は AOJ-ICPC を埋めたりしてカバーした気になっていた.

  • 模擬地区

届いたばかりのキーボードを引っ提げてオンサイトの模擬地区へ行った.私のキーボードのはずなのに nok0 はすいすいとタイピングをしていて,私は矢印キーの操作にまごついていて明らかに実装スピードが遅かった.キーボードを買って良かったと思った.

結果は10位.F いい問題だったから自力で思いつきたかったね.

  • 12月上旬

模擬地区があまりうまく行かなかったこともあり,毎週練習しようと言っていたのだがチームメイトのコロナ感染が発覚する.他の知り合いが後遺症に苦しんでいるのを見ていたので怖くなり,さすがにしばらくは療養に専念してもらうことになった.

  • 2週間前

チームメイトは無事回復したようで,念願の練習.ICPC運営から渡されていた仮想環境で練習していたのだが,VSCodium に補完もフォーマッタも入っていないことに絶望した.冒頭でまごついたものの最低限通さなければいけない問題は通せたので出来はまあまあ.このころにはキーボードにもそこそこ慣れてきていた.この不便な環境についてもやはり別途練習が必要だなあと言うことになった.今回は使わなかったけど来年は CLion 使ってみようかなあ.

この数日後に私のコロナ感染が発覚する.結局このせいで12月は練習が1回しかできなかった.あのさあ….

余談だが,チーム紹介スライドが年賀状みたいになってたのは私のコロナ感染によって3人の集合写真が撮れなかったせいでもある.

  • 1週間前

熱があった時期は昼も夜も寝まくったので整え続けた生活リズムがめちゃくちゃになった.起きているときは布団の中でずっと kactl の pdf を見ていた.知らないアルゴリズムや知識があったりして普通に勉強になった.

幸い症状は数日でほぼ消失した.サンプル実行用のbashファイルなどを準備したりして残りの隔離期間を過ごしていた.

  • 前日

隔離が解除され,2週間ぶりに幾何学の授業に出たら何も分からなかった.復習する間もなくリハーサルへ向かう.

会場で英語使うべきなのか日本語使うべきなのか分からん.チーム紹介のときにチームメイトに「僕たち3人合わせて S! P! J! (1人1文字ずつ言う) でーす!」ってやらない?と誘ったのだが軽くあしらわれた.来年あそこで漫才やりたいけどそれは俺だけらしい.

家に帰るとぐったりして疲れた.SASUKE は最後まで見たかったが,適当なところで切り上げて寝た.

  • 当日

なんだかやけに緊張していた.A 問題の実装を始めるときに手が少しかじかんでタイピングにもたついてしまい,カイロを持ってくればよかったと後悔した.

B までの速度は順調だったが,私が D で重い実装を選択してしまい,そこからは A と B の次に簡単なはずの D と G でペナを出し続けるという地獄のような展開だった.あのときの苦しい焦りは思い出したくもない.

なんとか E, F を通し,全く WA の原因が分からなかった G もダメ元で適当にリファクタして投げたら通った.最後は 2 人に言われて D をほぼ全部書き直したが,出来上がったコードはなぜかサンプルに対して意味不明な挙動をしていて,結局その原因も良く分からないままコンテストは終わった.

D も G も明らかに自分たちの実力帯よりは下の問題で,ここは通過点にしなくてはいけなかった.今振り返ると D で重い方針が思いついたときに一旦心を落ち着かせて考え直すべきだったのだが,焦りすぎていてそんな余裕がなかった.

焦っているときに解法らしきものが思い浮かんだ時の快感にも似た安堵の気持ちというのは強烈なもので,それのせいでこれまで何度も失敗しているのだが,今回の大会ではそれを痛感することとなった.

国内予選では 8 位だったし,正直言って 5 完 17 位というのは不甲斐ない結果だと思う.メンタル面が思いのほか大きな自分の課題であることに気付いたので,なんとかそこを改善できるようにしたい.

最後に,3年ぶりのオンサイトのアジア地区大会を準備して下さった運営の皆さま,交流して下さった選手の皆さま,コーチを引き受けてくださった okura さんとさかなさんに感謝申し上げます.ありがとうございました.